【数字】 37

37のネタを捜してうろうろしたたら
現在(2007年)放映中の水戸黄門がちょうど第37部だそうです

TBS系で1969年8月にスタートということで、30年以上やってるんですね、水戸黄門って、この手のネタはウィキペディアということで、詳細は直接みてね、すごい分量だから

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%88%B8%E9%BB%84%...

この記事みて、初めて知ったのですが、校門様はいちいち諸国漫遊にでかけるときに理由と目的地があったんですね、たいていはどっかの藩のお家騒動を解消するためで、その途中の各地でいろいろ事件を解決してゆくのはパターンだったんですね

ただ、あちこちふらふら歩いているんだと思ってました、ちゃんと話と日程がつながってたんですね

そもそもこの元ネタは幕末の講談として創作された「水戸黄門漫遊記」がもと、最初は俳人がお供で、やっぱり世直しの旅だったそうです、助さん格さんは明治の頃からだそうで、その後も映画、テレビドラマとして今に続く

で、史実の黄門様はというと
徳川光圀、1628年-1701年、水戸藩の二代目藩主(在勤は1661年-1690年)

ただこの人結構、とんでもない人のようで、藩主に就任する前から「大日本史」の編纂を志し、彼の死後も水戸藩の事業として継続、最終的には明治時代になって、完成した全397巻226冊の大歴史書神武天皇から後小松天皇までをカバー
一応彼の存命中に中心的な部分の記述は完成していたようですが、実に250年がかりの大事業

まあ、ここまではいいとしても
その編纂を通じて、朱子学に基づく大義名分を重んじた結果、南朝を正統としたり、天皇を中心とする尊皇論がベースとなっており、幕末の思想(尊皇攘夷論)に多大なる影響をあたることとなった、
なにしろ、幕府より皇室の方が偉いっていっちゃったんだから、家康が生きてたらどうなっていたんだろうって感じです

さらに水戸藩はこの編纂事業により財政難となり、国許で大規模な一揆が起きるなどその政治手腕が疑問視されたこともあり、御三家の一つでありながら、実質上、将軍の継承権を認められず、参勤交代を免除江戸で常駐し将軍の補佐を行うこととなり、天下の副将軍(そんな役職は幕府組織体系には存在しないのだが)と名乗るようになる

とまあ、大日本史編纂のための諸国漫遊(史実では本人は出かけてませんというか国許にもろくに帰ったことないはず)と自称天下の副将軍が、黄門様漫遊記の大元であることは確かみたいです

おすすめ

風雲児たち (1) (SPコミックス)風雲児たち』 みなもと太朗
(幕末の話をするのに、関が原から書き始めるという大河歴史ギャクコミック)

タイムスリップ水戸黄門 (講談社ノベルス) 『タイムスリップ水戸黄門』 鯨統一郎
(ごめん読んでない、タイトルのみ)