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どこまで、本当かしらないが、とあるアナウンサーが「旧中山道」を「いちにじゅうやまみち」と読み間違えたという話がある

実のところ、このネタが好きである、いい間違えでありながら、中山道の本質を見事に言い表しているではないか、まるで山頭火の句のようでさえある

問「雪が溶けるとなにに、なりますか?」
答「春です」
なんてのもありますね

中仙道は江戸日本橋から京三条大橋まを板橋宿から大津宿までの69次で結んだ道、古くから東山道としてひらかれ、江戸時代に五街道の一つとして整備された。

板橋宿をでて、北へ進み、高崎から碓氷峠を越えて軽井沢へ諏訪で甲州街道と合流し塩尻宿を経て関が原をぬけ草津宿からは東海道と合流して京にいたる道

中仙道は、距離も東海道より長かったが、東海道では戦略上、大河に橋がなく、川の水量が増えると足止めなどの影響を受けるのに対して、旅程が安定することなどの理由で荷駄、女性の利用が多かったといわれる、江戸時代末期、和宮親子内親王が徳川家へ降嫁した際もこの中仙道が利用されている。

そんなわけで、それなり重要な幹線であった、中仙道ですが、明治時代、東京-大阪の鉄道を計画する際、一度はこの中仙道ルートが選ばれ建設が始められたにもかかわらず、当時の鉄道技術では碓氷峠が越えられず、結局、鉄道敷設は東海道が先に東京-大阪を結ぶことになりました

そのため、現在の東海道線は、名古屋から、中仙道沿いに関が原を越えて京都に向かいます、この部分は平坦だったので、中仙道ルートとして先行着手された区間なのです

その後、東京-大阪は甲州街道にそって、諏訪に抜けるルートが一般的になり、中央線として建設、中央線の諏訪から西のルートはほぼ中仙道沿いになります