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甲州街道四十四宿
お江戸日本橋から中山道下諏訪宿まで四十四宿、56里(219キロ)
ほぼ現在の国道20号線、中央道、JR中央線がこの甲州街道をほぼなぞっています

まあそだった場所が、甲州街道より一里ほど北にあがった青梅街道沿いということもあって、なんとなく愛着とでも甲州街道の方がちょっと有名かなという思いとがあります、青梅街道だって、青梅を抜けて甲府までつながっているんですけどね、青梅から先はすっごい山道だけど

東海道が五十三次、中山道が六十九次にくらべると、信州は上諏訪までの距離にしては宿場の数が多いねとおもったら、数え方によると三十八宿
差の分は

高井戸宿、上高井戸と下高井戸が半月毎に交代
布田宿 国領、下布田、上布田、下石原、上石原の五宿 この間は距離が短く国領から下石原(調布)まではわずかに2キロちょっと

どうやらこの分を勘定にいれると四十四宿、高井戸、布田でまとめると三十八宿になるようですな

そもそも日本橋から46キロしかない横山(八王子)まで間に11も宿場がある

どうもこの甲州街道、江戸時代に整備だれた五街道の一つではあるが、軍事的な要素がつよかったらしい、そもそも甲州街道の重要な中継地、甲斐の甲府は、家康がさんざんな眼にあった、かの武田の本拠地、家康は武田を破ったあと、その強力な家臣団を配下とし、新宿(百人町)、八王子(千人同心)に家臣団(旗本)を置いた、そして江戸に有事ある時は、この甲州街道を利用して、江戸への展開、そして、江戸からの避難路として利用する計画であったという。

宿場の数が多いのもその辺の事情かなと思ったり

そしてこの日野、八王子といえば、ややこしい時代をますますややこしくした、新撰組の面々の出身地、かれらも元をただせば、江戸防備の任にあたった武士ですものね